幕張の海に最後の別れ

 千葉県との埋立補償交渉の妥結も間近な昭和四十七年(1972年)五月十二日、組合長以下組合員若干名はは、ともどもに埋立で失われてゆく幕張の海に分かれを惜しみながらTBS放映のアフタヌーンショウの「さようなら潮干狩り」に出演した。
「潮干狩りとして有名な千葉幕張から稲毛、この京葉臨海地区と言われる一帯が埋め立てられ、たくさんの人々が住み、工場ができ、五万トン級の船が出入りする。こうして千葉市は発展してゆくのですが、そのためにアサリ・ハマグリ・アカガイの豊庫であった海が埋め立てられ、そういうものが全然獲れなくなるということで、その幕張のおばさんたちにきていただいて、様子をうかがおうとおまねきしました」と桂小金治さんの司会に始まり、海で働いた組合員のにぎやかな話し合いがあった。当日、次のような海えの送辞が一組合員によって読み上げられた。

 「幕張の海へ届くように送辞。おらがちゃんも、おめえらがおっかちゃんも、みな世話になた幕張の海よ。長い間、本当に世話になったこの海。手がかじかむほどの寒い冬のノリとり。春の楽しい潮干狩り、夏の海水浴、この海が今年限りでなくなっちゃう。寂しいことだな。幕張の海よ、おまえと生涯会えなくなると思うと、どうにもやりきれなくて悲しいよ。幕張の海に限った事じゃなく、日本中のどこもかしこも、埋め立てで、海も田んぼも畑も埋め立て、その後には工場、団地がにょきにょきとできる。悲しいことだけど、しょうがねいことだよ。最後を飾るべき今年の潮干狩り、このときにおまえに付けられたのは、カドミュームとか言う汚名だった。かわいそうな海、長い長い間、みなを楽しませてくれたのに、せめておれたちだけでも深い感謝の気持ちで送ってやるべえな。幕張の海よ、さようなら」 そして昭和四十八年(1973年)九月をもち、遊覧を全面閉鎖し、全ての事業に終わりを告げた。
参考文献「メッセの町は海だった・写真集/幕張の60年」
編 者:安藤操
発行所:株式会社千秋社


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