干潟の飛行場

民間航空発祥のはなし
 稲毛の浅間神社わきの道路を海岸に向かってゆくと、千葉街道を横断して埋立地にはいる。この辺りは、潮干狩り客で大にぎわいであったところだったが、今はその面影もない。右手に旧市役所の庁舎が移されてレストランとなっている。
 海岸へ向かって十字路の右手に鉄筋コンクリートづくりの高さ約九メートル、上翼の幅も約九メートルの「民間航空発祥之地記念碑」がたっている。
 奈良原三次侯によって、この地に民間飛行練習所が開設され、明治四十五年(1912年)五月、白戸栄之助操縦の国産機による初飛行に成功した。
 伊藤音次郎は、この「東京飛行機製作所」に入社、大正四年(1915年)には独立して「伊藤飛行機研究所」を創設し、「恵美号」による民間で初の夜間飛行に、大正五年(1916年)一月に成功した。
 恵美号は、栃木・長野・三重・広島・山口・福岡・長崎・大分各県を巡回飛行した。また、伊藤は、五十四機の飛行機、十五機のグライダーを作り、百四十二人のパイロットを終戦までに養成した。 なお、大正六年(1917年)秋の台風の高潮で、稲毛海岸の飛行場は壊滅したが、津田沼海岸のパイロットの養成にあたった。

参考文献「メッセの町は海だった・写真集/幕張の60年」
編 者:安藤操
発行所:株式会社千秋社


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