原状回復トラブルを追う

敷金は全額取り戻せるが新常識に
 原状回復をめぐるトラブルが多発している。入居者からの敷金返金請求が増加しているのだ。貸す前の状態に復帰させるべきと考える多くの家主と、そこまで負担するのはおかしいと感じる入居者との溝は大きい。裁判の多くでは、修繕費用が家主負担となっている。実際の判決では何が争点となったのか。どう判断されているのか、実際に起きた裁判事例を通して原状回復トラブルの現在を追う。


張り替えた場所はどこ?
 8月15日、全国の大手一般新聞に敷金返還訴訟が取り上げられテレビでも大きく報道された。敷金の違法性について消費者契約法を根拠にした訴訟が、全国で初めて起こされたのだ。注目を集めたこの問題の発端は約1年前に起きた。
 昨年9月、大阪市鶴見区で30歳のある男性会社員が、新築の特定優賃貸住宅の1室約70平米を借りた。ファミリータイプで賃料は約10万円。入居の際に結んだ契約で敷金約35万円を業者に預けた。約半年入居した今年4月、退去することになり、立ち会いを経て受け取ったのが、原状回復費として27万円を徴収するという見積もりだった。
 入居していたのはわずか半年。室内もほとんど汚れてはいない。しかし、見積書には、「冷蔵庫裏の壁紙や家具による床のへこみによって、全室の張り替えが必要とされ、返還されるのはわずか8万円足らずと記されていたという。
 この見積もりを不審に思った入居者は、業者相手に説明を求めた。すると、業者側はあっさり約5万円を値下げし、「22万円にまけるからいいだろう」と対応を変えてきた。しかし、一度の交渉で簡単に値引きしたことに更に不信感を募らせた入居者は周辺業者やマスコミにこの話を持ち込んだ。その中の一人がT社(兵庫県西宮市)の同社長だ。
 「てんまつを聞いて、値下げどころか全額返還も可能と判断しました。しかも相手が大手管理会社だったこともあり、徹底糾明すべき、とアドバイスしたのです。」
 これにマスコミも加わった。原状回復費用の値段の根拠を確かめるには、修繕後の部屋を見る必要がある。しかしその部屋には、すでに新しい入居者がいる。イチかバチか当たったところ、返ってきたのは「出来る限り協力します」という返事だった。
 そして室内にテレビが入った。
 「私もそれを見ました。前の入居者にも新しい入居者にも分からないでしょうが、プロが見れば一目瞭然。”全部張り替えた”はずの壁紙の半分はもとのままでした」(同氏)
 番組でもリフォームの専門家による鑑定がおこわなわれたが、確かに半分以上はこの男性が住んでいたときのままだった。また、新しくなったところと古いところの判断が付きにくいことからクロスが汚れておらず「張り替えが全く必要なかった」ことが明らかになった。
 そして14日、この男性は貸主の不動産業者に敷金の差し引き分約22万円の返還を求めて訴訟を起こした。

大阪に存在する2つの契約方法
 なぜ、このようなトラブルが起きたのだろうか。
 問題はこの物件が特優賃物件だったことにある。
 公庫の融資を受けて建てられた特優賃では全国一律の敷金制度を用いる。これは阪神間でも同じことだ。
 本来、敷引制度が多い大阪では、入居時に予め保証金を入れ、退去時にはそこから規定された金額を除いて変換するという方式が一般的だ。
 「保証金50万円、敷引30万円」と言えばはじめから退去時に50万円−30万円=20万円返されることが決まっているわけだ。しかし、公庫はこの方式を採用しない。平成10年に原状回復ガイドラインが定められたことから、敷金を預け、故意・過失のみの修繕費負担を求めるという契約方式にしている。この2つの方式が大阪で始まったことがトラブルの引き金となった。契約書は公庫が策定したものどおり。しかし、欄外には各業者独自の「特約」がつけ加えられたのだ。このケースでも契約者には「日常の損耗は借主負担」とした特約をつけていた。これが、消費者の利益を一方的に害する契約条項を無効と定めた消費者契約法に反する、と原告弁護士は主張しているという。
 「おそらく判決では原告全面勝訴となるでしょう。入居者側に負担をさせるやり方はもはや不当とみなされる時代になったのです」(同氏)

戻って当たり前の時代になった
 これまで敷金は、「取られて当たり前」だったのが、「戻ってきて当たり前」になったのだ。
 これまでの家主の考え方では、退去する際は、「入る前の状態」に戻してもらえるものという先入観が強かった。この両者の溝がトラブルを生み出している。
 N社(東京都荒川区)で管理する埼玉県にある2DK4万8000円の物件に住んでいた30歳代の夫婦が退去したのは、数ヶ月前。同社のA氏が室内を確認したところ、和室の畳はすり切れが目立ち、張り替えが必要だった。また、脱衣場のタオル掛けも破損していたため新品と交換しなければならない状態だった。1万5000円の付け直し費用がかかると判断し、ルームクリーニング代を含め合計6万円の見積もりを出した。
 「このご夫婦には『わかりました』と承諾して頂いたので、工事の発注をしました」
 しかしその後その夫婦から連絡が入った。
 「やっぱりあの見積もりはおかしい。払うつもりはない」というのだ。
 「タオルかけは壊れたのだから借主負担」と説明したが、相手は納得しない。結局、らちがあかず、同社では少額訴訟に踏み切った。
 「当然勝てると思ったのですが結果は正直、驚きました。クリーニング代約4万円は敷金から引くことになったものの、タオルかけについては家主の負担になったのです。我々は通常の生活でタオルかけのクギまで壊れるとはいえないだろうと判断していたのです。今回の訴訟を通して、これまでの常識では通用しないということを痛感しました」
 この家主負担の理由になったのが、タオルかけの破損が「経年劣化」とみなされたことだった。平成10年に建設省(現国土交通省)が策定した原状回復のガイドラインには、住むことによって自然に起きる範囲の汚れや故障は「経年劣化」として借主にその修繕義務はないとしている。このタオルかけも住んでいて自然に壊れたのであり、入居者がその費用を払う必要はないと判断されたのだ。

張り替え費用は1平方メートルのみ
 経年劣化が家主負担とみなされるばかりでなく、明らかな破損でも借主へその修繕費用を請求するのは、もはや難しい。中には1平米単位で負担分を算定したという判例もある。今年6月14日、神戸地方裁判所での判決例だ。
 裁判はあるファミリー向け物件で起こった。築8年、賃料7万6000円(但し、平成9年7月から8万円)の物件に5年5ヶ月住んでいた入居者が平成12年12月末に退去した。入居時の契約では保証金として70万円を預託しており、そのうち敷引分が28万円。入居者側は残り42万円が返還されるものと考えていた。
 しかし、退去後、家主から返還されたのは15万7007円に過ぎなかった。その根拠とされたのが、和室の襖にある落書きと郵便ポストの破損などだ。
 和室4枚ある襖には入居者の子供が書いた落書きがあった。その為、全てを張り替えなければならないというのだ。
 同様に洋室の床にもふき取り不可能な落書きがあり、7.5平米の張り替えが必要とされた。これらから和室、洋室、台所、玄関などの壁及び床を張り替えるなどの全面改修を行い、その費用26万2993円を敷金から差し引いたのだ。
 この説明に納得しなかった入居者は平成13年に裁判を起こした。
 争点となったのが、故意・過失の場合の修繕負担範囲だ。先述の襖に書かれた落書きは4枚中1枚にのみあった。しかし、家主側の言い分では4枚中1枚だけ張り替えて3枚は古いままというのは不自然になる。床についても一部の落書き部分を張り替えることは出来ない。そこで、全張り替え代を計上したが、この判断に「NO」という結論が下った。
 判決文は次のようにいう。
 「ア)和室の襖の汚損については落書きで汚したのは襖1枚であり、補修費用は1枚分である」
 「カ)畳3畳について染みは畳1畳にしか認められない。よって張り替え負担すべきは畳1畳分4305円とする」
 「ケ)洋室床の落書きは1平米四方にとどまるものであり、修繕費を負担すべき範囲は1平米4200円と認められる。」
 「コ)洋室壁は50センチメートル四方の落書きがある程度であり、張り替えを要するとしても壁紙代として500円にも満たないものである」
 結果、入居者が負担すべき修繕費用は合計で7万2345円であり、34万7655円は入居者に返還されるべきとされた。このうちすでに返還された15万707円を引いた19万648円の返還が家主側に命じられた。
 結局、入居者は当初返された敷金の倍以上を取り戻した。このように、入居者によって一部が破損され、全体を張り替えても、負担を求められるのは、その範囲のみとなっているのだ。

故意過失のみに回復義務が
 こうした状況に不動産取引推進機構(東京都港区)のM氏はこう語る。
 「原状回復といえば入居者が住んだ以前の状態にすることだと思われがちですが、民法上から言えばそういった厳密な意味での原状回復はないとさえ言えます」
 民法上では、賃借人は目的物を「原状に復して之に付属せしめたるものを収去する」権利を有することとなっている。これは、賃貸人は賃借物に物を付属させた場合、つまり住居に物を持ち込んだり取り付けた場合にそれを収去する義務があると解釈される。したがって入居者が借りた前の状態に戻すという意味ではないのである。標準契約書においても、借主の故意、過失による損耗についてのみ、借主の費用負担で行うこととし、通常の使用による損耗かそうでないかの分岐点はどこにあるのだろうか。
 「例えば部屋に備え付けのカーペット5万円の減価償却期間が5年であるとします。仮に1年間で1万円償却するとして2年目に退去すればこの時点で2万円の償却です。この2万円以内の価値下落に関しては、損害とは言えないという判断です」
それを越えた金額については、家主が入居者に実費を損害賠償請求すればよいというわけだ。
 しかし問題は、この価値下落の査定を、誰がどのように判断するかである。家主もしくは業者と入居者の話し合いで行われる限り、対立の構図は変わりそうもない。
 「これに関してはある提案を行っています。家主と入居者の間に保険業界に入ってもらうのです。ガイドラインをもとにすれば、負担の仕組みがつくれます。入居の間に家主もしくは入居者が保険に入り、その際にも損害があれば保険で支払うのです」
 こうした仕組みは、今後常識化する可能性を持っている。

業者側が勝訴した例も
 もちろん、正当な理由であれば家主の主張は認められる。
 K司法書士事務所(福岡県福岡市)のK書士が手掛けた案件では、わずか3ヶ月間の入居で敷引き制度で5カ月分中4ヶ月取ったケースで、これに不満を持った入居者が少額訴訟を起こしたものの業者側の主張が認められ勝訴したという。
 同物件は家賃4万円の1Rマンション。3ヶ月とはいえ、この入居者はかなりのヘビースモーカーで、汚れと臭いで、張り替えしなければならない状態だった。
 「退去時の立ち会いで、入居者とともに汚れ部分を確認して、その部位の写真を撮ったのがよかったようです。」
 実費は8万円以上かかった上、1年以内の退去による違約金1カ月分の支払い義務もあった。
 いまだ入居者・業者、オーナーとも何が正しいのか分かっていないことがトラブルの原因となっているのは確かだ。まずは、正しい認識を持つことが重要であろう。
(全国賃貸住宅新聞2002.8.19より抜粋)

 原状回復・退室精算は当社においても同様に年々大変になってきています。
 メディアの発達などで、情報が広まるにつれ入居者の敷金に対する意識も急速に変わりつつあります。
 また、どんな使い方をしても敷金は戻って来るという間違った主張をする入居者も多いと聞きます。
 「消費者保護」という流れの中で、我々仲介業者も正しく理解し、家主様・入居者様にしっかり説明をしていかなければと思っております。



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