〜マンションでのペット飼育解決法〜


(社)東京都動物保護管理協会
理事 宮田 勝重(獣医師)

●おことわり
 マンションでのペット飼育はわが国では不適切と考える人が多く、ほとんどのマンションの管理規約が禁止しています。しかし、禁止規約があるにもかかわらず、多くのマンションで分譲、賃貸を問わず飼育されているのも現実です。日本の社会の伝統的特徴の一つは、建て前と本音を使いわけることです。建て前で禁止しても、トラブルさえおこさなければ本音の部分で黙認します。また、トラブルがおきたとしても、人間関係が良識的に維持されていれば、その中で解決してしまいます。残念ながら日本の人間関係維持の習慣は、伝統社会の時代につちかわれたもので、集合住宅では通用せずに裁判にまで進むことがあります。これは、集合住宅が伝統社会に対応する先進工業生産社会が生み出したもので、そこでの生活習慣が日本ではまだ確立していないためだと考えられます。
 集合住宅が本格的に作られるようになって40年たち、最初のころの仮の住まいから、終の住まいへと住む人の意識も変わってきました。終の住まいになれば仮の住まいより、より快適な環境を求めます。さらに、住む人の年齢も初期は壮年だけでしたが、今は若い人から老人まで幅の広い年代の人が住んでいます。老夫婦だけや、老人の一人暮らしという所帯も増えています。特に老人は、ペットと共に暮らしたいという気持ちが若い人より強く、禁止されているから絶対に認められないという状況は、誰もが好ましいとは思っていないでしょう。
 集合住宅の初期の頃に比べて、暮らし方の多様性とともに、質の向上が求められています。ペットを飼うというのも、多様性と質の向上を求める要求の一つの現れです。このことは、オクションといわれるマンションで、ペット飼育が普通になっていることが証明しています。ペット飼育禁止規約だけでは、飼育を止められない時代になっています。飼育者にたいして、禁止規約をたてに裁判を起こすことも可能です。裁判では禁止するほうに有利な判決がだされますが、逆に人間関係は複雑になり、人間関係が難しいマンションということになり資産価値もさがります。
 欧米で生まれた先進工業生産社会に日本も移行したということは、欧米と価値観を共有するということです。欧米では集合住宅であってもペットと共に暮らすのは当然で、同じ価値観を共有するという視点にたてば日本もそうなります。社会の変化から好むと好まざるにかかわらずペットは増えてきます。たとえペットが嫌いだとしても、ペットを飼う人の心理や、ペットそのものの知識を持って、マンションの中で間題が起きない人間関係を築く必要に迫られます。そして禁止規約の見直しや、マンションでの暮らし方などについてのルール作りも必要になるでしょう。ペットについての情報は、禁止する立場の人より認めて欲しい立場の人のほうが多く持っています。私も認めて欲しい立場の人間ですから、どうしても認める側の情報が多くなりますが、そこのところを理解のうえこの続きを読んでください。

●マンションでペットと暮らす人は変人?
 ペットに興味のない人にとって、飼育が禁止されているマンションで、肩身の狭い思いをしながらペットと暮らす人の心は理解できないでしょう。特に日本人は、どのようなルールでも、決まったものは何が何でも守らなければいけないという不思議な文化を持っています。大多数の人から見ると、ペットの飼育というようなどうでもいいようなことで、ルールを無視する人々は我巖な変人に見えるに遠いありません。しかし、ルールというものを考えてみると、ルールはルールを決めた時の多数派に従っただけで、守らない人が増えれば改正する性質のものであります。少し隅極端に言えばみんなでルールを破れば、ルールそのものが無意味で改正の対象になります。もう少しはみだして言えば、絶対に守らなければいけないルールと、守らない人が必ずいるけれど、決めたほうが無難だというルールもあります。ペットの飼育はもちろん後者で、ルールの解釈が禁止派と飼育派では違っています。違いの溝を埋めることが問題解決に結びつきますが、一番難しいことでもあります。ただ規則の運用は法律も含めて幅があり、個人の生活を乱さないよう弾力的に施行することが原則です。私は獣医師で毎日多くのペットの所有者の相手をしています。その中にはもちろん禁止されている集合住宅でペットと暮らしている人もいますが、その人たちは変人でもなく戸建に住んでいる人と何の違いのない普通の人たちです。もちろん獣医師の私でさえ理解できないくらいペットの世界にのめり込んでいる人もいますが、それは集合住宅でも戸建でも同じです。むしろ、集合住宅で無断で飼っている人の方が、隣り近所に配慮しなくてはいけませんから常識的にペットと暮らしています。今では首都圏の60%の人が集合住宅に住み、集住文化という言葉がさえ生まれています。居住人口だけから見ると日本の社会の中心になりつつあり、そこで新しい生活習慣や社会ルールが生まれることになりますが、法体系がそのままだと新しい動きを抑圧してしまいかねません。ペット間題も新しい習慣を生み出し定着させない限り解決にならず、今のまま無条件禁止の状態が続けば健全な社会が形成されない可能性があります。

●「禁止」の構造
 マンションのペット問題を考える時に、ペットの飼育は何故禁止なのか、なぜ禁止しても守られない規則なのか検討する必要があります。誰でも人の生活を制限するようなルールを作ることは気持ちの良いものではありません、できればさけたいと思っています。
 厭な思いを押して禁止ルールを作るには、ペットが好きな人からは理解できない動機があるはずです。また、ペットの好きな人から見ると、飼育禁止に動く人は心の狭い人に見えてしまいます。生活ルールは禁止が少ないほど快適な生活が保証されることは誰でも知っていますし、禁止ルールを作らずに円満な人間関係を作ることが理想的なことも理解しています。飼育に反対の人も最初から否定の立場にたたず、禁止ルールを作らずにマンション生活が可能かどうか検討する必要があります。それにはまず「禁止ルールを無視してペットを飼う」ということを分解して、賛成、反対の立場から検討しなくてはいけません。「禁止」にもいろんな種類があります。まず分譲と賃貸ですが、世界的な傾向として自分の所有する住宅でペットの飼育が自由にならない国は少数です。賃貸の場合はまちまちですが、基本的にはルールを作り許可が大勢です。ここでちょっと面白いのは、欧米と工業化の進んでいないアジアの国がペット飼育におおらかなことです。しかしこれは結果が同じということで、含んでいる意味は大きく違います。欧米がペットと暮らすのは当然の権利と考えているのに比べ、アジアの国はペットとしての存在感が薄く無関心なだけです。工業化が進んでいないアジアの国も、工業化が進み都市に人口が集中しペットとしての意 識が高まると、集合住宅での飼育が禁止される方向になってしまうようです。

●犬をコントロールしない日本文化
 日本では昭和30年代に急速に工業社会に突入し、それにともない都市への人口移動が起こりました。急激に都市へ集中した勤労者への住居を提供するために、住宅公団を始めとする集合住宅が作られました。新しく用意された集合住宅は欧米の国々では長い伝統があり生活のスタイルも確立されていますが、日本では経験のない方法で伝統社会の習慣を集合住宅にそのまま持ち込んでしまったのです。当然のことのようにマナーの悪い犬と、マナーの悪い飼い主のため混乱も生まれました。しかし、本人たちは今までと同じ意識で犬と暮らしただけで、特に悪いことをしたと思っていませんでした。
 ところで、分譲マンションの基本法である区分所有法は、ペット飼育等の生活ルールに関する事項は、大幅に規約で定める事項として、規約自治に委ねました。つまり、管理規約の中に生活条項を含ませ、改正は3/4の賛成がなければできないようにしてしまったことがこのことを良く表しています。生活方法は同じ文化の中でも個人によりかなり違いがあります。同じ生活スタイルの人が3/4以上ということも、時代とともに変わらないということもありえません。ハードの部分とソフトの部分を同じに扱うことに、対応のまずさと無理があったようです。
 日本で集合住宅が生まれた初期は禁止規定がなかったのに、マナーの悪さから禁止されたことも良く知られた事実です。これは伝統的な日本人の犬の管理意識の欠如によるもので、日本人はなぜ犬を管理する意識が伝統的に希薄なのか検討する必要があります。
 日本の伝統的な社会習慣が完成されたのは江戸時代の後半ですが、当時の江戸は人口が多くその残飯を求めて犬が町にあふれていました。江戸名物は「火事に喧嘩に犬の糞」という川柳があるくらいです。しかし江戸の犬たちは飼われているというより、かってに残飯を食べ住み着いているという状態だったようで、人に慣れずかなり凶暴だったようです。
 犬は猟犬や番犬や牧羊大として、人と密接にかかわっていたように思われていますが、それはヨーロッパのことです。日本では狩猟は支配者かごく一部の山の民だけでしか認められていませんし、犬を必要とするような牧畜は育ちませんでした。番犬としての犬は特に飼う必要もなく、いつの間にか居着いていて外部からの来訪者を警戒していました。もちろんペットとしての犬もいましたが、そこらの犬を軽い気持ちで飼うという、ちょうど今の東南アジアの状態と似ていたようです。ペットとなった動物は食べないという、どの文化にも共通した社会的圧力がありますが、当時の日本の犬は肉食が禁止されているにもかかわらず食べられてもいました。ペットとして飼うという認識は余りなく、人の社会の中で円満に犬と共に生活しようという努力はしませんでした。

●ペットと暮らす心理
 一番原始的な文化を持ち、狩猟採取生活で自然と共にくらしているといわれるオ一ストラリアのアボリジニは、デンゴーという野生犬をペットにします。狩猟採取生活は獲物を求めて定期的に移動しますが、大人が狩りに出ている間、留守をしている子供たちの相手を拾われたデンゴーの子犬がします。アボリジニに限らず、どんな未開の地に住んでいる人でも、家畜を持っていなくても、野生動物を拾ってでもペットを飼っています。ペットという動物を持つのは人だけです。今から3万年前の犬と共に埋葬されたネアンデルタール人の墓も発掘されていて、ペットの感情が今の人になった時から生まれていることをうかがわせます。人が人である以上ペットを持ちたいという衝動があり、その衝動は禁止しても抑えることはできません。ペットと暮らしたいという衝動は、どこか結婚したいという衝動に似ています。衝動は個人差が大きく、対象によっても遠いますが、まったくおきない人、簡単に抑制できる人、我慢に我慢を重ねている人、抑えられない人など様々です。ペットを飼いたいという衝動の強い人の気持ちを、全く興昧のない人が理解できなくても当然です。しかし、そういった衝動を抑えることができない人がいるということは理解すべきです。
 衝動だけでペットを持つ理由を説明するのは少し乱暴ですが、ペットを飼いたいという衝動が起きる理由もまたあるわけで、その一つがペットを飼うといい気持ちになれるということです。人は他人の世話をすることにより、いい気持ちになれます。いい気持ちになるということは、人という動物の建康を保つ方法の一つです。飼うということは世話をする、面倒をみるということですから人に生きがいを与えます。
●ペットを嫌う理由
 生まれつき動物が嫌いな人はいません。動物が嫌いになる、ペットが嫌いになるのは生まれた後の経験、知識によるものです。特に親の影響は大きいようで、中でも母親が嫌いだったら高い確率で子供も嫌いになります。嫌う理由としては、不潔、くさい、毛が抜けるなど非衛生的なものが第一に上げられますが、さらに、噛みつく、吠えるなども理由になります。
 ただ、どうしても嫌いだという人はごく少数で、マンションでの飼育は他人に迷惑をかける可能性があるから禁止もやむなしという人が大多数です。ペットといっても様々で、飼うために特別な施設は何も必要ないということを理解してないと、飼えないと思いこんでしまいます。
 人が動物である以上、何らかの形で他の動物とかかわらなければ生きていけません。かかわりかたは、敵として排除するか、味方として利用するかのどちらかで、もちろんペットは味方として利用する動物です。ペットという動物については嫌悪感を持たないのが人の本来の姿です。ただ、自分の近くに動物がいなれば動物は理解できません。日本の社会の大部分から、ペットを消せば理解できなくなるのは当然のことです。理解できなければ必要な人の心がわからなくなるでしょう。

マンション管理センター通信 1996年12月号 より転載



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