湧水は、なぜか私たちの心を癒し、人々の心にこだわりをもたせる水である。 
くら長い河川でも、いくら大きな湖沼でも、それらを潤している源は、湧水である。
古来より、湧水は人々の生活と密接にかかわってきた。かつてはいたるところに湧水が湧き出しし、小川となり、集落の形成や水田の耕作条件をも左右してきた。それが今、消えかけ、そして忘れ去られようとしている。
 戦後、我が国は豊かになろう便利になろうと大地を開発し、工業化をはかり、経済的成長に成功した。その光の影として、地質環境の破壊や汚染が進行した。同時に日本人の心も乾いていった。
 現在の湧水の姿は、その影の象徴の一つにみえてならない。
 乾いた小川を潤し緑を戻すには、湧水を保全し、渇いた湧水を復活させることが必要である。それを可能にするのは、雨水の涵養といった一歩一歩の地道な努力である。
 その努力が我々の心に潤いをもたらし、忘れかけた日本人の心も思い出させてくれるのではないだろうか。

湧水とは
 自然に湧き出す地下水は、多くの呼び名を持っている。それらは、「泉」「噴泉」「湧泉」「井」「どっこん水」「出水」」「湧水」「涌水」「清水」などである。どの呼び名も、歴史的にその地域特有に使用されてきたものであり、末永く残したいものである。
 そこで、多くの呼び名がある湧き水の水源の形態を見てみると、点源である場合と線源の場合がある。前述の前五者の呼び名は、点源に多く使用されている傾向があり、後の四者には点源や線源といった明らかな区別もなく、「流れ出す地下水の量・質」といった両者の意味を含めて使用されているようである。

千葉県各市町村の銘湧水 No1



湧水の
名 称
湧水の
所在地
推薦理由


都川
白鷺橋付近
自噴井
中央区
星久喜町
千葉市が過去4年間において実施した、野生動植物の生息状況及び生態系調査の報告書によれば、当該自噴井は千葉市で最大の湧出量(240〜170t/日)で、水質も良好である。都川と支川都川の合流地点の白鷺橋のたもとにあり、平蓋自立型で横一文字の湧出口から地下水がほとばしっている。
姫池湧泉
(谷地斜面
裾湧水
   穴型)
若葉区
北谷津町
金光院谷地最上流に位置する。水量は70t/日ほどであるが、NO3濃度が高い.1996年7月25日の実地調査時には湧出していた。
野呂清水
不動尊湧泉
(谷地斜面
 木の根型)
若葉区
野呂町野呂
不動尊入口左に位置する。水量は20t/日ほどであり、NO3濃度も低いが、電気伝導度が高いため、相当数の各種無機イオンが溶存していると思われる。1996年7月25日の実地調査時には湧出しており、脇に由緒沿革の碑があった。


名尊様 高神東町
9749-1
大山名尊様(お不動様の化身)を祭っている。高福寺の管理で、小畑池の水源であり、小畑川を経て名洗地先の太平洋に注ぐ。


羅漢の井 国府台3-9
(里見公園)
水質調査では大腸菌群が陽性で、飲料水としては適さないが、今も汲みに来る人が多い。水量は0.02リットル/秒と豊富である。また 、「江戸時代の「江戸名所図会」の「総寧寺羅漢井」の中で、弘法大師にまつわる伝説が描かれており、歴史的にも価値ある湧水である。



湧水
「いっせん
  ぽく」
真里谷
字伊豆谷
1041番地先
立田川上流にかかる町原橋を通り、清らかな清流に沿って歩くと地中からボクボクと湧き上がる不思議な泉「いっせんぼく湧水池」にたどりつく。水辺に沢蟹が戯れ、ドジョウが顔をのぞかせている姿はいかにものどかで、人々に心の安らぎを与えてくれる。時代を超えて力強く息づいた水源は、当該地奥の豊富な樹木の広がる峰山に端を発し、豊かな湧水を育み、その澄んだ清流は武田川へと流れ美しい風景となっている。近年この自然を保全しようという地元のボランティア団体や対策協議会等の運動が起こり、1995年度市の補助金により遊歩道(木道)が整


21世紀
の森と
広場の
わき水
千駄堀地内 21世紀に森と広場は松戸市の中央部にある千駄堀地区に広がる豊かな自然が保たれている公園である。斜面樹林に取り囲まれ、3本の谷が走る谷津の自然地形が残され、また公園の後背地に山林や畑がありために、山裾から日量約1000tの水が湧き出している。この豊かな湧水を利用して、かつては水田耕作が行われていた。公園化されてからは、池や湿地の水源として大切な役割を果たし、沢蟹やヘイケボタルをはじめ多様な生き物たちの生息環境を支えている。園内のせせらぎでは、ひんやりとした清流の感触が楽しめる。


特になし
(中里庄
九ケ谷の
湧き水)
中里
2667
水質・水量ともに良好。特に水量は野田市内では1・2位だと思われる。周辺は畑及び雑木林で、整備は行われていない。湧き出し口で2m流れた後、地中に吸い込まれるように伏流する。地形的には、谷津の上流部で谷地形であるが、湧き出し口にはローム層が認められるようだ。


清水
不動尊
佐原イ
1299-2
不動尊
(上宿台)
天王台と上宿台の谷間、露出した成田層から湧出す自然水である。往古より清水が湧き出る幽玄の地で、清水不動尊の名称がついた。本市法界寺(浄土宗)の奥の院で神仏混淆、不動信仰の霊地である。特に産婦がこの霊水、閼伽水を畏呑すれば、母乳が出るという民間信仰が隆盛を極め、香取地方一帯に多くの講中を有していた。現在も不動堂とその附属堂牢がある。境内304u域内には信者が奉納した1814(文化11)年の手水鉢、1863(文久3)年の常夜燈、「幾とせも経ぬれど若き清水哉」の句碑が建立されている。本市を代表する名水であり、現


加賀清水 井野1617
加賀清水
公園内
この湧水は、第8代佐倉城主大久保加賀守忠朝が愛飲し、江戸への往来の時には、必ず立ち寄ったところから、加賀清水または井野清水と呼ばれるようになったといわれる。その後、成田街道脇の林家という茶屋がこの清水を客に振る舞っていたという歴史がある。現在この清水は加賀清水と呼ばれ、公園化が図られ、市民に親しまれている。近年、市街化が進むにつれて湧水量の低下が認められる。

名戸ヶ谷
湧水
名戸ヶ谷
671
水温が15゜Cに保たれ、水量豊富(約200ミリリットル/秒)。飲用可能(要煮沸)で、多くの市民が汲みに来る。清水を利用した水田(無農薬)があり、夏になるとヘイケボタルが飛び交い、田園風景が楽しめる憩いの場となっている。8月には、ホタル鑑賞会とコンサートを開催している。


姉崎神社
御霊泉
姉崎
2270
姉崎神社正面入口左側に湧き出ている自然水は、神社の御霊泉とされ、そばに水祖神が祭られている。この湧水は好評で、付近の住民はもとより、遠くからこの湧水を汲みに来る人が毎日列をなしている。姉崎神社は鬱蒼とした老杉に覆われ、約1900年の歴史があるが、この湧水も同じ歴史を持っている。湧水の周辺は、あずま家等が整備され、湧水が流入する池もあり、良好な憩いの場として親しまれている。水量は季節・天候にかかわらず通年、定期的にこんこんと湧き出ている。水質も定期的に検査されており、安全性が確認されている。


名称なし 恩井
581番地先
小高い山に囲まれ、周囲には樹木が多くあることから、水量も豊富で、上流は池になっている。昔は湿田用の水として利用されていた。



乳清水 米本小字
青柳
89番地
昔から地域の人達に親しまれた清水である。自然が保たれ、その近くに「ホタルの里」を建設している。起源は1848年、お産の神として祭られた浅間神社より、昼夜の別なく湧き出る清水を「乳清水(ちっこしみず)」として崇拝するようになった。子供が産まれると、この清水でお粥を作り、産婦が乳の出るよう食べさせる風習は今もなお伝えられる。またこの清水は付近一帯の田を潤し、旱魃に見舞われたときも田植えの用水に不足することもなかったという。この場所にある一本の老松はその起源の古さを物語る。
元八海
米本小
字鮹池台
1515番地
昔から地域の人達に親しまれている。自然が保たれ、付近に「ホタルの里」が建設進行中である。「元八海(もとはっかい)」は、富士五湖と以前にあった3湖を合わせた「元八海」の因んだもので、神社とその周辺を富士山とその周辺に見立てている。ここに使われている石は本八湖から持ってきたものとされている。



将門の
古井戸
日秀
231番地先
日秀観音堂の横を南に入り、成田線の踏切を越して旧鎌倉街道を行くと干拓地に出る。手前左側の斜面に「将門の古井戸」がある。30mほどの古池で、その上にグミの巨木が多いかぶさるようにして伸びている。里伝によると、この辺りに将門の分城があって、この井戸水を軍用に供したという。
船戸の森
湧水
根戸新田
124番地先
いつ頃から湧き出し始めたのか不明であるが、お茶好きな人達がこの湧水を汲みにきている。以前は木の臼で湧水を受けていたが、1935年にコンクリートのものに改修している。



囃子水 道野辺字
囃子水
1008-48
鎌ヶ谷市内にも湧水は数少なく、その中でも囃子水の湧水はその状態が良好である。水量はさほど多くないものの、水質についても良好である。


水神谷
湧泉群
大井地先 なし


不動様
の湧水
田原 杉林の中の岩の間から1800t/日の水が湧き出しており、飲用に最適で、遠く県外からも水を求めて人が訪れる。湧水の近くには不動明王を祭った堂があり、地元の人達は堂内や湧き水の周辺を掃除したりして、不動と湧水を一体化させて尊び、地域の宝としている。



名称なし 百目木
200
この湧水は、市の地区公園である百目木(どうめき)公園の中にあり、年間を通じて清浄な水を自噴している。公園内には、テニスコート・野球場・プール等の運動施設が整備され多数の市民が利用しており、湧水を汲みに来る人が多い。
日比友好
の井戸
蔵波1964-3
長浦駅北口
公園内
1990年5月30日にフィリピン・バタンガス州より9名の研修団を招き、上総堀り技術取得のため研修会を実施した。同年6月20日に実習用に掘っていた井戸が自噴し、この井戸を「日比友好の井戸」と命名。研修団は帰国して上総堀りを普及させ、生活用水難解消に役立てている。

千葉県各市町村の銘湧水 No2


沢山の泉 谷田
1287-1他
沢山の泉は千葉ニュータウン桜台地区に隣接する杉林内にある。湧き水は2箇所有り、20m程流下した地点で合流している。


法乳泉
(おかべ
観音様
 の水)
郡1132 おかべ観音は関東において楽満寺観音(下総町)・樹林寺観音(小見川町)とあわせて「臨済の三観音」といわれ、近郷近在老若婦女子の信仰をあつめている。ご本尊は聖観音で、素朴で親しみのある菩薩であるが、33年に一度しか拝むことができない。境内には「法乳泉」と呼ばれる名水があり、乳が出ない母もこの水をいただくと、不思議にも乳が出ると伝えられている。観音堂の裏には大師山と呼ばれる小高い丘があり、ここに四国八十八カ所が迎えられ、丘の起伏を利用して八十八カ所が一周できるようになっている。


横山
清水
(お上人様
 の井戸)
横山
269-7
「お上人様」を祭るお堂の側にあり、農作業の合間に寄ってちょっと喉を潤すことのできる身近な場所となっている。「お上人様」は後醍醐天皇の子息といわれ、この地で亡くなったとされている。毎月一日は縁日として、地元以外からもお参りに来る人がいる。現在は、道路脇にある1m×2m程度の池となっている。水量は豊富で、一定量出ており、水質も良好である。


滝不動 長岡字
滝の入47
樹木の茂みに囲まれた長岡の滝(滝不動)は男滝と女滝があり、男滝の落差は約3mで、滝の口から静かな響きをたてている。土地の古老の言うには、弘法大師の東国巡礼の時、崖を杖でつくと湧水がほとばしり出て、庶民の現当二世の幸福を念じて不動明王を奉ったということである。この滝不動は50年程前までは大藪で知る者も少なかったが、故本城善治郎が夢のお告げにより藪を切り開き、滝壺から倶利伽藍不動像を掘りだし、奉ったのが契機となり一般に信仰されるようになった。


中白清水 新堤の南側の田の隅に2本の榊が立っており、その根元から清水が湧き出ている。この水で炊いたご飯を食べると、乳の出が良くなると伝えられ、1955年頃までは出産をした母親が、たくさん乳が出て愛児が健康に育つよう、榊の枝に手拭きやのぼり旗を結びつけたりしていた。


東栄寺
の湧水
溝原
715
黒部川は干潟町溝原の東栄寺裏山より湧き出る水が源流となり、下流では大河となって利根川に注いでいる。名称は、その昔富山県の黒部地方で生まれたお坊さんが東栄寺の住職となり、かの地の黒部川の景観と似ているところから付けられたのがその由来とされている。


冷水大師
(もくも
  く大師)
小南
1625
昔ほどではないが、現在も水量があり、近郷の人々に親しまれている。


滝(竜福
寺の森
郷土環
境保全
地区内)
岩井 古来より地域住民から岩井滝不動として親しまれてきた。立福寺の森にはオタカラコウ等貴重な資源が残されており、森全体が天然記念物として指定されている。




南玉
不動産
の滝
南玉480 古くから「南玉の滝」として親しまれているこの滝は、山の中腹から湧き出ている清水を導管で清岸寺の境内まで運び、さらに銅製の滝の口まで導き、滝として落下させているものである。土気古城再興伝来記の南玉不動尊略縁起によれば、不動尊清岸寺は812年に建てられ、1488(長享)年に山上の善勝寺とともに法華宗に改宗とある。昔は子供たちの夏の遊び場で、時には屋台まで出たと言われる。今でも滝に近づくと不思議な清涼感を覚える。


名称なし 戸田
1236-1
山武町の面積は51.87uで、その約40%が人工林の山武杉で、雨水の涵養に役立っている。この湧水は年間を通じて水量の変化があまりなく、その水量は年間平均1.8m3/時である。北側一帯は山林で、南側は水田が開けているこの地域は、昔から地下水が豊富なところと言われており、ここはシンボル的な存在になっている。この土地は私有地であるが、ここに水を汲みに来る人は、毎日のように見かけられる。


熊野の
清水
佐坪字
滝ノ上
古い文献によると、弘法大師が全国行脚の途中にこの地に立ち寄り、水が無く農民が苦労しているのを見て、法力により水を出したという由緒ある湧水である。住民はその遺徳をたたえてて、大師の座像を清水の上のお寺にまつってある。また、この湧水を利用して、室町時代より鶴岡八幡宮直営の湯治場として栄えたため、熊野は「湯谷」と呼ばれていた。この清水は弘法大師にちなんで「弘法の霊泉」ともいわれている。



大滝の
源泉
横山字
夷ス
大滝のあるこの地域は上瀑地区といわれる。この地域を流れる小川の上流に、落差3mの滝があって、「大滝」「神坊の滝」「爽山の滝」などといわれていたからである。ここは伊藤の大山(海抜245m)の北東1.5キロの地で、すぐ北西には浅間山(海抜225m)もそびえており、このような山の狭間から湧き出る水が滝を形成して落下している。この大滝が「大多喜」の地名のおおもとであるといわれている。大滝のすぐ上には「浅間神社」が祭られ、近くには「八大竜王」などのほこらもあり、地域の信仰をあつめている。また、下流では灌漑用水として


大井戸 井野 富山(とみさん)の伏流(地下水)の湧水で、吉井あるいは井野の地名はこれに由来する。吉井集落70予戸の飲み水に使われていたこともあり、水田の灌漑・牛乳の冷却に利用された。日照りの時も水の涸れることはなく、安房地方の名井のひとつとなっている。現在は、上水道の貴重な水源として、その役割は大きい。


いも井戸 白浜字
青木
昔、一老婆がこの地で芋を洗っているところに旅の僧が現れ、小芋一つを施されんと願うと、老婆は「この芋は石のごとき芋で、煮ても焼いても食べられません」と断った。老婆が家に帰り、煮た芋を食べようとしたが、石のように堅く歯がもたなかったため、路傍に捨てた。ところが、捨てられた芋の下から泉水が湧き出て、芋は芽を吹き、青々と茂っていった。その後、この僧を訪ねると、弘法大師が諸国行脚の道すがらのことであったという。このことから、弘法大師の「いも」井戸といわれ、湧き出す水は冷涼、芋の葉は四季枯れることなく茂っている。町の


原の下
の湧水
瀬戸字
原の下
原の下一帯の水稲栽培の貴重な水源として、昔から重用されている。この湧き水のため、農業基盤整備事業に於いて苦慮し、設計変更等が度々行われた。水量は70リットル/分である。



清澄水 天津小湊
清澄町
郷土の偉人、日蓮の「修行地」「立教開宗の地」として知られる清澄寺のある霊峰清澄山の最もきれいな湧水である。「清らか」にして「澄みきっている」という、清澄地を象徴するように透明度の高く、大気温に左右されない地下湧水である。現在は取り水できるようにされているが、この施設を作ったのは明治の文豪、長塚節が逗留を続けた旅館「清澄館」である。

(参考文献「千葉県の自然誌」財団法人千葉県史料研究財団編)